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2018-05-04
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#interview SushiChef”Atsushi Kitamura”

マンションの一室で営業を開始し、看板も出していないにも関わらずカウンターは常にお客さんで賑わっていた。

そんな粋な大人達で賑わう”きたむら”のオーナー兼板長を務める”北村 淳”さんへのインタビュー動画になります。
料理人を目指そうと思ったきっかけや料理のアイディアの源や料理に対する思いなど料理人でなくても為になるような内容になっております。

以下、学生に向けた媒体でインタビューを受けた時のものになります。

●北村淳 プロフィール
青森県育ち。18歳で上京し、都内の鮨店で修業。30歳で鮨「きたむら」をオープンし32歳で「きたむら別館」もオープン。カリフォルニアでの鮨店プロデュースなど国外でも活躍。現在は若手の育成に力を入れる。

職業インタビュー なぜ鮨職人に?西麻布「きたむら」北村淳さん

みなさん「職人」と聞くとどんなイメージがありますか?下積みや修業が大変そう、強いこだわりや信念を持ってそうなど、それ相応の年数や覚悟が必要なイメージがありますよね。
たくさん存在する職人の中、今回は「鮨職人」の仕事に触れてみたいと思います。港区西麻布に店を構える板長兼オーナーの北村淳さんにお話を伺いました。

――どんな学生時代を過ごしていましたか?
中学・高校と何をしたいとか特になく過ごしていました。高校は青森の工業高校の自動車科で、卒業すると整備士やセールスマンになる人が多いですが、自分は別にそういう道に進むつもりもなくただ入っただけ、という感じでした。

――飲食を目指したきっかけは?
高校時代の居酒屋でのアルバイト経験です。最初はお金を稼ぐためだけだったのですが、働いているうちに料理が好きになり素敵なお客さんや先輩にも恵まれて、板前を目指すことを決意しました。学校の先生や両親も後押ししてくれて、卒業後に夜行列車に乗って上京しました。

――職人というと修業が辛そうなイメージがありますが…。
朝が早いとか毎日の練習など色々ありましたが、どんな仕事も大変なのは同じだと思います。自分は頑張ればその分認めてもらえるんだ、というスタンスでいましたね。先輩や同期に勝ちたいという思いも強くあったので乗り越えられました。ちゃんと目的があるとそこまで行こうと思えますよね。辛いと思えば辛いですが、目標の為にその時は無我夢中でした。

――修業している時目標にしていたことは何ですか?
まずは一人前になりたい。自分が1から10まで作った料理でお客さんに感動してもらいたいということです。他にも修業しながら鮨の食べ歩きもして、鮨でも5千円のところもあれば1万2万の高級なところもあって、いつかそういう店を持ちたいという思いも持つようになりました。

――修業から独立まではどういう流れでしたか?
親から「最低5年は辛い事があっても一つの店で続けなさい。一つの場所で頑張れないことで長続きはしない」という言葉があり、5年間最初の店で修業を続けました。更に経験を増やすためにその後何店舗かの門をたたいて修業させてもらいました。その中で出会ったお客さんが出資してくださり、26歳の時に鮨屋を構え3年半後の30歳で独立しました。

――まだ26歳の人に店を任せるってすごいことですね。出会いが運命的だったのでしょうか?
たまたま実家からリンゴジュースが届いて、お礼も兼ねて届けたんです。他愛もない話から店をやらないかという話になって、すぐにチャンスだと思いました。人生に何回かあるターニングポイントだったと思います。誰にでもそれぞれターニングポイントってあると思うんですが、それをただ見逃すかチャンスにするか見極めることが大事だと思います。

――30歳で独立というのも早いですね。
26歳の時のお店が3か月もすると予約で入れないようになって、自分で経営したいという思いはすぐに芽生えました。独立した後も順調で正直大変だったことはないんです。男ってやっぱり野望が尽きない生き物なんでしょうね。次には店を広げるという目標ができ、32歳で二店舗目をオープンしました。

――目標一直線で、とんとん拍子にいっている感じがしますね。
実は何店舗か修業させてもらっているなかで、修業が辛くて一度辞めたこともあります。地元に帰ろうかとも悩みました。引っ越しやポスティングのアルバイトをして過ごしていたのですが、そういう仕事は別に自分じゃなくてもできる仕事なんですよね。自分が特別な人間になる為には自分しかできないものを磨いていくしかないと再確認しました。

――率直にお鮨屋さんは楽しいですか?
鮨って素材はすごくシンプルで、ネタ・シャリ・ワサビと醤油で出来上がりますが、シンプルな中でも組み合わせはいくらでもできるし、だからこそ楽しいですね。
鮨屋といっても料理だけでなく、人と人との関わりということが大事だと感じます。人が来てその感情やエネルギーで店の空間が変わっていくのが面白いですね。そこが飲食店の醍醐味かもしれないです。

――魚市場など業者との関わり方も特殊ですか?
お金を払えばいいものが買えるという単純なものではないですね。コミュニケーションがとても大事です。僕はお米屋さんなど仕入れている業者さんを一度店にお呼びして、自分たちがどんなものを出したいかを見てもらいます。業者さん達が自信を持っている食材を、いかに僕らが良い状態で提供できるのかという部分で安心してもらいたいんです。

――お話を聞いていると人との出会いや繋がりの大切さを感じます。人から学ぶことがすごく多そうです。
そうですね。お客さんが僕にとって師匠だと思っています。例えば「東京カレンダー」を創刊した安武不可止さんに出会ったことはすごく大きなことでした。独立した時に紙面や広告で扱ってくれたことで反響をたくさん頂きました。他にも色々と食事をご一緒させてもらうことで自分の料理の向上の切っ掛けにもなります。同時にお叱りも常に受けていますが…。(笑)そういう声は素直に聞いて改善策を考えるようにしています。本当に様々な人たちに支えられているので、この先もずっと握り続けることが恩返しだと思っています。

――自分のどういう部分が今に繋がっていると思いますか?
常に探究心はあって、負けず嫌いで成長したいという気持ちは強かったです。青森の人口少ない村から出てきたんだからという思いもありました。
結果、色んな人と出会って化学反応が生まれて世界がどんどん広がりましたね。パリに視察に行ったり、実際に2年前にはアメリカで鮨店のプロデュースもしました。鮨だけでなく食文化自体を向上させたいと思っています。貧困の土地にも食材は必ずあって、そこに料理人が加わることで全く違う美味しい料理になっていくということがやりたくて世界を回りました。

――今後の目標はありますか?
今42歳にしてお店や人、ネタなどすべてにおいて満たされています。その満たされている中でも、料理の向上とお客様をどう喜ばそうというのは常にあります。昔あるグルメ雑誌で若手鮨職人ランキングの1位に選ばれたことがあるんです。同じ雑誌に紹介されていた同世代の職人の中には現在すごく有名になっている人が何人もいます。僕なんかは本当にまだまだです。その記事が今では僕の戒めになっています。今後も成長し続けること、そしていい料理人を育てていくことがこれからの目標ですね。

――学生に向けて何かアドバイスをお願いします。
若い頃は遊ぶことももちろん必要だと思います。色んな人と出会って価値観も広がると思いますし。でもその中で皆が目標を見つけるのは難しいことです。どこかで必要に迫られる状況も大事。お金が欲しい、自由が欲しいなど、自分の欲求や何かに固執する思いがあれば、その先に目標ができあがるかもしれない。何か一つでも固執できるものやこだわりを持つことが大事だと思います。

「成長」を意識続けている北村さん。困難もプラスに考え、自分の糧にして乗り越えてきた強さを感じます。若いうちにしか経験できないこともたくさんありますが、そんな中でも一本譲れない自分の芯を持っていることが大事なのかもしれません。

text by.さきっちょ

「きたむら」西麻布
店主 北村 淳

“Kitamura” Nishiazabu

Sushi Chef&Owner AtsushiKitamura
This was the best Japanese sushi.The Sushi Chef Kitamura of Nishiazabu allow cameras into his restaurant.

Directed By TakeruToyoshima

“きたむら本館”
港区西麻布1-4-41-4
03-37-46-8825

“きたむら別館”
港区西麻布1-4-43-4
03-3403-5688

“港区西麻布1-4-41-4”

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